犯罪被害者の実名公表の是非を、警察の判断に委ねる犯罪被害者…

犯罪被害者の実名公表の是非を、警察の判断に委ねる犯罪被害者等基本計画が閣議決定された。日本新聞協会と民放連は「匿名発表は容認できない」とし、この項目が「警察によって恣意(しい)的に運用されることのないよう国民とともに監視したい」との共同声明を出した▼年を追ってマスコミ報道に対する国民のまなざしが厳しくなっていることは実感している。当欄を含めてマスコミは間違うことも多いし、記者までが放火や破廉恥罪の被疑者になる事件が続いては、信用を失うのもやむを得ない▼だが、マスコミが批判を封じられ、政治や権力と一体になって国民を戦争の泥沼に引きずり込んだ六十年前までの無残な姿を思えば、政府批判や警察権力との緊張関係を保ちつつ、なんとか読者の信頼を得ようと手探りする現状はまだしもではないか▼埼玉・桶川ストーカー殺人事件被害者の父、猪野憲一さんは、メディアスクラムと呼ばれた集中取材にさらされながら「娘と家族の無念を晴らしてくれたのもマスメディア。どれほど救われたか」と、警察の実名・匿名判断にきっぱり反対の声を上げてくれた▼地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人の高橋シズヱさんも「匿名では言いたいことも伝わらない。判断は被害者がすべきだ」と述べてくれた。こうした被害者の声を大切に、現実から目を離さない姿勢だけは堅持したい▼同じ社会面に静岡・タリウム事件の加害生徒の親族一同が「世間をお騒がせし」と手記を寄せていた。これを言わせた世間について考え込んでいる。世間とは何か。

今回言いたいこととは関係ないですけど、一応おもしろ部分は太字で強調しておきました。間違いって、例の免疫力の件でしょうか?w


警察とマスコミ、60年前と現在とでは、立場が逆転しているんじゃないでしょうかね?子供が殺されたら同級生にインタビューをして泣かせてしまう、災害が起これば遭難して迷惑をかける、特亜に都合の悪いことは隠蔽、在日の犯罪者は通名報道。間違うことがあるのは、人間のすることなので仕方ありませんけど、事はそんなレベルまで至ってないです。人としての倫理観や道徳、常識が欠落しているんですよ。これでどうやって信用しろというんでしょうか?「警察が判断」するのも問題がありますが、現状で「マスコミが判断」するよりは100倍マシです。まあ、そもそも被害者や遺族自身に判断させろよ、ということなんですけど……。