毎日新聞、「風の息づかい〜」社説を反省

どんなに間違ったことを書いていても、絶対に非を認めない新聞社がいる一方で、ちゃんと批判を受け止めるのは結構なことなんですが、その代わりに、またわけのわからん主張をしている人が。

◇記者の高ぶり、当然表れる 学者の論文ではない−−吉永春子委員(テレビプロデューサー)

突風下の列車運行に関する読者の指摘も一部当たっていると思う。しかし、山形・庄内に暮らす住民から見れば、「今日は突風がありそうだ」など、ある程度の予測はできたのではないか。筆者がそれを「風の息づかい」と表現したとすれば、その点は理解できる。ただ、過去の同様な列車事故がどれだけ教訓として生かされているかについて、もっと掘り下げているとより説得力があった。社説は、学者の論文ではない。日々のニュースに接して、感情が高ぶったり、憂慮したりする記者の心が当然表れる。社説に冷静さのみを強調し、求めるのは誤りではないかと思う。

社説ってのは、新聞社を代表する意見なのだから、できるだけ冷静な判断の下で書くものじゃないんだろうか。いや、感情の赴くままに無茶な批判するのが我が社の方針なんです、ってんなら別に構わないけどさ。